こんにちは、ゆえじです。この記事では台湾地震チャリティーセミナー「あるきちさんに聞く!意外と知らない!?花蓮と蜜香紅茶のヒミツ」のポイントをご紹介します。
台湾に30万円寄付できました!
2024年4月3日に発生した台湾花蓮地震。
私が住んでいる香港も普段は地震のないのにけっこう揺れて本当にビックリしました。
なにかできないかな・・・と思い中国茶アナリストあるきちさんに相談して立ち上げたのが、台湾チャリティー特別セミナー「意外と知らない!?花蓮と蜜香紅茶のヒミツ」
参加費の全額を台湾支援の義援金にあてる、という企画です。
ありがたいことに本当に多くの方にご賛同いただいて、
- 参加者:171名!!
- 寄付金額:302,841円!!
上記に私の茶友有志からの募金も上乗せした金額を台湾衛生福利部へ直接海外送金することができました!!
一人で静かに募金するのではなく、こうして台湾や台湾茶を愛する皆さまと一緒に大きな循環を生む企画をつくることができたことをとてもうれしく感じております。
ご参加いただいた方も応援&見守ってくださった方も本当にありがとうございました!
台湾茶にも造詣の深い中国茶アナリストあるきちさんによる特別セミナーは内容が濃厚で参加者の皆さまからも喜びのお声がたくさん届いています!今回の記事ではセミナー内容の一部をご紹介いたします。
台湾の東部・花蓮の概要
今回は、台湾の東部地域の花蓮と蜜香紅茶について中国茶アナリストのあるきちさんにお話を伺いました。
交通の便が悪く開発が遅れた地域
台湾東部にあたる花蓮(かれん)は地理的には、中央山脈によって東西が隔てられているため、花蓮への移動は大変不便だったとのこと。また、原住民族の方々が多く住んでおり、清の時代、中国から見た台湾は「化外の地」と呼ばれ、「我々の統治の及ばないところ」と言われるほど、特に東部の状況は把握できていなかったため、開発が非常に遅れていたのだそうです。
東部開発の障害となったのが、交通の便の悪さでした。中央山脈が邪魔をして東部へのアクセスが難しく、物資の輸送や産物の運搬が困難を極めました。特に、花蓮の北にある蘇澳と花蓮の間は山が海岸までせり出していて通り道がなく、トンネル工事をしようにも岩盤が脆弱で崩れやすかったそうです。
現在の蘇花公路が開通し、車が通れるようになったのは1932年のことで、それまでは徒歩でしか移動できなかったので、わざわざ開発しようという気運は高まらなかったのだとか。鉄道も、花蓮の北部を通る区間の開通が1980年、南部の台東からの区間開通は1991年と、比較的最近のことでした。
海流が激しく海路も危険が伴う
陸路が厳しいなら海路はどうかと思われるかもしれませんが、花蓮の海は海流が速く、波も荒いため、大型船の接岸は難しかったそうです。日本統治時代に花蓮へ入植した日本人はこの状況を揶揄して、「入れん港」などと言っていたそうです。
蘇花公路の清水断崖は、東部の地形の厳しさを物語っています。現地を訪れたことのあるあるきちさん曰く、断崖絶壁のわずかなスペースを切り開いて道路にしたものの、すぐ脇が切り立った崖になっていて、日本統治時代に手掘りで造られた道は、今にも崩れそうな危険な状態だったとか。
現在はトンネルが開通して便利になりましたが、それでも今回の地震の影響で通行止めになったそうです。東部の果物などを台北に運ぶにも、南から大回りしなければならない状況が続いているのだとか。
東西を貫く横貫公路も事情は同じで、台中から梨山を経由して花蓮に抜ける険しい山道はくねくねと曲がりくねっていて、2時間以上も続くそうです。途中の徳基ダムから天祥までの区間は、1999年の大地震と台風の影響で今も通行止めが続いており、脆弱な地質のため、大雨や台風で土砂崩れが発生し、すぐに寸断されてしまうのだそうです。
農作物の生産には向いている面も
このように東部は交通の便が悪く、開発が進まなかった地域でしたが、そのような東部にも注目すべき地形があるのだそうです。台東県の花蓮渓谷は、山の斜面に段々畑が広がり、良質な作物の産地になり得ると期待されていたとのこと。
花蓮から台東の海岸線に沿って細長く続く花東縦谷は、東側の海岸山脈によって潮風や台風がブロックされ、作物栽培に適した環境になっています。ただ、谷の中には急流が流れ込む場所や岩だらけで水が得にくい場所もあり、簡単に開拓できる土地ではなかったようです。それでも、日本統治時代に入ってから、この地を拓こうという人たちが移民団として入植し、本格的な開拓が始まったのだそうです。
台湾での茶産業の変遷
さて、花蓮における紅茶栽培の歴史について、あるきちさんにお話を伺いました。
花蓮で紅茶の栽培が始まったのは、諸説ありますが、地元の方々の話では日本統治時代の1930年代だそうです。国田正二氏が、花蓮県の瑞穂という標高230メートルほどの高台で、紅茶とコーヒーの栽培を始めたとのこと。当時は海外へ紅茶を輸出しようという機運があったため、温暖な気候を活かして栽培が始まりました。
近年、花蓮の瑞穂はコーヒーでも有名になっていますが、そのコーヒーの木は当時植えられたものが山の中に残っていたものを偶然発見され、国田氏の功績によるものだと判明し、記念の銅像が建てられています。
北回帰線が通るこの地域は、ちょうど南北回帰線の間に位置するティーベルトに含まれ、ダージリンやアッサムなどと同様、紅茶の栽培に適しています。国田氏はそこに着目して栽培を始めたわけですが、1930年代は間もなく日中戦争が始まり、戦争に突入してしまいます。紅茶は海外に売ってお金にしなければならない作物ですが、戦時下ではそんなことをしている場合ではなく、食料増産が優先されたため、残念ながら日の目を見ることはありませんでした。
外貨獲得手段から国内消費へ
戦後になると、台湾は紅茶を様々な国に輸出することで外貨を稼ぐようになります。まさに台湾にとって、茶は外貨獲得の重要な作物だったのです。紅茶を輸出したり、北アフリカのモロッコなどに緑茶を売り込んだり、日本の高度経済成長期には日本向けに茶葉を生産して輸出したりと、お茶が台湾の重要な輸出品となっていきました。
しかし、1970年代になると、台湾の経済発展により人件費が上昇、紅茶の生産コストが跳ね上がってしまいます。世界に目を向ければ、インドやスリランカ、アフリカ諸国など、安価な紅茶がたくさんあるため、台湾の紅茶は価格競争力を失い、輸出による外貨獲得が難しくなっていったのです。
そこで台湾は、国内消費を増やす方向にシフトします。輸出向けだった茶葉を国内向けにし、お茶を飲む習慣がなかった人々にもお茶の魅力をPRしていったのです。お茶を飲むのがカッコいいというイメージを作り上げ、東方美人茶や文山包種茶などがヒット商品となり、台湾国内でのお茶消費が拡大していきました。
茶葉の輸入量が増加
そして各地でお茶の生産が盛んになりますが、1990年代後半には人件費高騰により、利益を出し続けることが困難になります。そのため、一部の台湾の製茶業者はベトナムなどの海外に進出し、現地で茶葉を生産して台湾に逆輸入するという流れが生まれ、外国産の安価な茶葉が台湾国内で出回るようになったのです。
21世紀に入ると、台湾のお茶の輸入量は飛躍的に増加しました。2000年までは年間12,000トン程度だったのが、2001年以降はグングンと増え、今や年間30,000トン以上を輸入しているのだとか。台湾で消費されるお茶の多くが外国産であり、中でもベトナム産の茶葉の輸入量が突出しているそうです。
花蓮での茶産業の歴史と発展
このような状況の中で、台湾東部のお茶事情はどうなっているのでしょうか。あるきちさんによると、1960年代以降の東部のお茶は以下のような変遷をたどったそうです。
1961年、鶴岡示範茶場が設立され、1964年にはアッサム種を使った鶴岡紅茶を製造したものの、国際競争力を失って1988年に廃止。1970年代初頭には舞鶴でも日本向けの釜炒り茶の生産が始まりますが、うまくいかず、台湾国内向けの安価な烏龍茶へとシフトしていったのだとか。
台湾東部のお茶は低単価商品が主流に
台東でも、1960年代にアッサム種の紅茶生産が始まり、鹿野で大規模栽培が行われましたが、輸出不振により国内向けの低価格烏龍茶へと移行。台湾東部は経済発展が遅れていたため人件費が安く、西部より安い価格でお茶を出荷できたため、しばらくは低価格帯のお茶生産が主流となっていったそうです。
1980年代から90年代にかけて、低価格帯のお茶が主力となり、1984年には製茶改良場の台東分場が開設されて製茶の振興が図られました。価格は低いままでしたが、当時の総統だった李登輝などが視察に訪れ、「福寿茶」という名前を付けたりと、ブランド化の動きもあったそうです。しかし、今ではその知名度も低く、ブランド名を冠するかどうかは生産者次第という状況なのだとか。
こうして台湾東部のお茶産業は、低価格帯で細々と生産を続けてきましたが、21世紀に入り安価な輸入茶の増加で危機的状況に陥ります。茶畑をコーヒー畑に転換したり、お茶生産をやめてしまう農家も出てきたそうです。そのような中で、東部の茶業を何とか守ろうと、有機栽培など環境に優しい農法への転換が図られるようになっていったのだそうです。
蜜香紅茶の誕生
続いて、あるきちさんに花蓮における蜜香紅茶誕生の経緯についてお話を伺いました。
台湾東部の茶業が危機的な状況に陥る中、お茶の栽培を続けるには新たな方策が必要でした。そこで注目されたのが、この地域の豊かな自然環境を活かした有機農法。農薬や化学肥料を使わない農業を東部茶業の特色にしようと、様々な取り組みが始まりました。
しかし、お茶の栽培には一つ大きな問題があったそうです。それがウンカという虫の存在です。ウンカはお茶の木に大きな被害をもたらします。そのウンカ被害にあったお茶を何とか商品化する方法を考えなくてはならなかったのです。被害を受けた茶葉をどう製品化するかが、喫緊の課題となったわけです。
そんな中、台東製茶試験所が1999年に開発したのが、蜜香緑茶でした。緑茶の新製品として期待されましたが、残念ながらヒットには至らなかったそうです。その理由について、あるきちさんはウンカについての説明を加えてくれました。
ウンカの茶樹への影響
ウンカは茶の木の樹液を吸って成長を止めてしまう厄介な虫で、通常は害虫として駆除の対象となります。ウンカにかじられると葉が萎縮し、色が変色したり硬くなったりしてしまいます。普通はそのような茶葉は商品価値がないのですが、実はウンカ被害を受けた茶葉には、面白い特徴があることが分かっています。
それは、ウンカにかじられたお茶の木は、身を守るために特殊な物質を作り出すことです。花のような香りのもととなる物質で、お茶の木の防衛反応として、ウンカの天敵を呼び寄せる働きがあります。つまり、ウンカ被害を受けた茶葉からは、蜜のような独特の甘い香りが生まれるのです。この性質を利用したのが、東方美人茶などの蜜香茶なのですね。
蜜香を生かした緑茶から紅茶へ
台東製茶試験所が開発した蜜香緑茶は、この蜜香茶の製法を緑茶に応用したものでした。烏龍茶が主流となっている台湾では、緑茶なら競合が少ないだろうと考えたのだそうです。しかし、爽やかな緑茶の香りと蜜のような甘い香りの組み合わせは、消費者の支持を得られず、商品としては振るわなかったとのこと。
そこで、東方美人茶の製法を参考に、紅茶版の蜜香茶を作ろうという動きが出てきます。花蓮・瑞穂の茶農家の方が、蜜香紅茶の開発に乗り出したのだそうです。瑞穂は元々紅茶の産地でもあり、そこで東方美人茶の製法を活かして、蜜のような香りを生かした紅茶作りが始まりました。こうして誕生したのが、蜜香紅茶です。
花蓮の蜜香紅茶は台湾各地へ
最初のうちは、面白い香りのお茶という程度の評価でしたが、2006年と2010年の国際茶コンテストで入賞したことで一気に注目を集めるようになりました。海外で評価されると、国内でもブームが起こるのは台湾も日本と同じですね。結果的に蜜香紅茶の知名度は急上昇し、台湾各地で生産されるようになっていきました。
蜜香紅茶は、紅茶としても珍しい存在なので、簡単に真似できるものではありません。ウンカにかじられた茶葉を大量に確保し、独特の発酵プロセスを経る必要があるため、栽培から加工まで一貫した管理が求められます。そのため、無農薬栽培などにこだわる東部の茶農家の間で生産が広がっていったそうです。
さらに、昨今の台湾茶業界の傾向として、茶農家の直販が主流になってきているそうです。仲買人を通さず、自分で売る方が利益率が高いですからね。蜜香紅茶も、質の高いものを作る茶農家ほど、直接販売するケースが多いのだとか。そういった事情もあり、蜜香紅茶は一般的な販売店での取り扱いは少なく、入手するには産地に直接赴くか、通販を利用するのが一般的だそうです。
このように、東部の茶農家にとって、蜜香紅茶は新たな活路となったのですね。長年の努力が実を結び、世界が認める特色あるお茶として、ブランド化が進んでいるとのことでした。
おいしい蜜香紅茶の見つけかた
最後に、あるきちさんに美味しい蜜香紅茶の見つけ方を教えていただきました。
蜜香紅茶は原料素材と技術の賜物だそうで、美味しいものを作るには、たくさんのウンカにかじられた良質な茶葉と、それを上手に発酵させる技術が欠かせないのだとか。この2つが揃ってこそ、びっくりするほど美味しい蜜香紅茶ができるのだそうです。
条件1:紅茶作りのプロが作ること
では、そんな美味しい蜜香紅茶はどうやって見つければいいのでしょうか。あるきちさんによると、まず大切なのは、紅茶作りの実績がある茶農家を選ぶこと。台湾でも紅茶の生産者は多くないので、紅茶作りが上手な茶農家を探すのが先決なのだとか。
特に、烏龍茶しか作ったことがない茶農家が、蜜香紅茶を作り始めるケースが多いそうなのですが、紅茶の発酵加減は非常にシビアで、烏龍茶の感覚でやってしまうと、香りが壊れてしまうこともあります。紅茶作りのプロでないと、質の高い蜜香紅茶は作れないそうです。
条件2:良質な原料茶葉が手に入る環境
次に重要なのが、蜜香紅茶に適した茶園管理をしている茶農家を選ぶこと。ウンカを寄せ付けないように徹底的に駆除している茶園では、残念ながら上質の蜜香紅茶はできません。むしろ、ウンカを呼び寄せるような環境作りをしている茶園でないと、素晴らしい香りは生まれないのだとか。
そのような茶園は、無農薬栽培などにこだわる花蓮など台湾東部の茶農家でないと見つからないそうです。夏場だけウンカ対策をするのではなく、1年を通してウンカにかじられるのを前提とした栽培を行なっているかどうかが、良質な蜜香紅茶が採れる茶園の条件なのです。
農家から直接買うのが確実
しかし、そのような生産者を見つけるのは簡単ではありません。蜜香紅茶の需要が高まる一方で、本当に質の高いものを作っている茶農家は多くないのが現状なのだとか。そこで、あるきちさんがオススメしてくれたのが、直販を行なっている茶農家から買うことです。
自分で作ったお茶に自信のある茶農家ほど、仲買人を通さずに直接販売する傾向が強いそうです。大手茶販売店の棚に並ぶ商品よりも、生産者の顔が見える直販ルートで買う方が、外れが少ないのだとか。産地に直接足を運ぶのが一番ですが、通販でも十分だそうです。値段も、仲買人の取り分がないので、比較的リーズナブルに購入することができます。
もちろんこの買い方はマニア的で初心者にはハードルが高いですよね。もちろん、そこそこ飲みやすい蜜香紅茶なら、一般的な台湾茶専門店でも買うことができます。
どちらかというと、あるきちさんのアドバイスは、本当に素晴らしい蜜香紅茶を探す上級者向けといった感じでした。それでも結論として言えるのは、やはり一度は産地に足を運んでみることだそうです。台湾東部の豊かな自然の中で栽培された茶葉を、農家の方が丹精込めて作った蜜香紅茶を飲むのは、格別な体験なのだとか。
そして最後に、せっかく良いお茶を手に入れたら、あまり背伸びをせずに、気軽に飲むのがオススメだそうです。水出しにすれば、手軽においしく飲めるので、日常的に楽しむのがいいのだとか。あるきちさん自身、よく水出しにして飲まれているそうです。
以上が、あるきちさんに教えていただいた、美味しい蜜香紅茶の探し方でした。奥深い世界ではありますが、東部の自然の恵みがぎゅっと詰まったこのお茶を、ぜひ一度味わってみたくなりました。
花蓮に訪れてみましょう!
あるきちさんは、何度も繰り返し強調されていましたが、一番伝えたいのは「落ち着いたら台湾東部でお茶を飲んだり買ったりしに行きましょう」ということ。今回のセミナーを通して、東部地域の魅力が十分に伝わったのではないでしょうか。
東部は日本統治時代の面影を色濃く残す土地柄で、日本とのゆかりを感じられる場所が数多くあるそうです。ただし、交通の便が悪いのが玉にキズで、それだけが難点だとあるきちさん。でも、だからこそ自然が豊かに残っているとも言えるので、のんびりした時間を過ごすには持ってこいの環境なのかもしれません。
東部を旅すれば、美味しいお茶を飲みながら、日本統治時代の歴史に思いを馳せ、先住民族の文化に触れることもできるでしょう。台北や高雄とはひと味違う、またとない体験ができるはずです。
観光スポットの紹介も少しありました。例えば、台東県の鹿野高台は、パラグライダーの飛行場としても知られ、アジア最大級の熱気球フェスティバルが開催されるのだそうです。まさに自然を満喫するのにぴったりの場所ですね。のどかな風景を楽しみつつ、空を飛ぶというスリルを味わえるなんて、興味をそそられます。
そんな東部の各地で、おいしいお茶を味わい、買い求めるのは、旅の大きな楽しみになりそうです。
以上が、あるきちさんに台湾東部の観光の魅力について伺った内容です。歴史、文化、自然、そしてお茶。花蓮は、様々な顔を持つ、奥深い土地であることが分かりました。
私もぜひ自然豊かな花蓮へ足を運んでみたいです!改めましてあるきちさん、そしてご賛同いただいた皆さま、本当にありがとうございました。